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戦国と地理のヲタクの部屋
- 1 武州の姫若子@BDZxZToS [2024/08/29(Thu) 18:11]
- 盛り上がるか分からんけど造ってみた
- 89 武州の姫若子@lAls62kS [2024/09/22(Sun) 12:46]
- 今更タウンすぎるけどざっくりすぎる武将解説やってくか
秋月種実
筑前の国人、あの毛利・大友・龍造寺・島津がひしめく北九州であっちについたりこっちについたり、時にはあの立花道雪に奇襲かけたりして豊臣秀吉九州上陸前に最盛期筑前約36万石を領有したまさに鎮西の表裏比興。最後島津に着いた為に日向に飛ばされるも家宝の扇を差し出して命脈は保った
肝付兼続
大隅の戦国大名。最初は島津と仲良かったけど島津に喧嘩売られ合戦に、島津は何倍もの兵力ある上にまだまだ若い島津四兄弟が勢揃い。籠城していたがこれを奇襲しあの島津に勝利。その勢いで大隅1国約12万石まで領土拡大。島津はこの敗北の末に大隅攻略を兼続の孫の兼亮の代まで後回しにすることに…
- 90 武州の姫若子@lAls62kS [2024/09/22(Sun) 12:58]
- >>89
堀秀政
元は信長の小姓、家康が上洛した際は明智光秀がやらかした饗応を代わりに務める。秀吉への伝令に向かっていたらあの本能寺の変が発生、秀政はそのまま秀吉と行動を共にする。後に信長の孫の織田三法師の守役を務めたり、森長可や池田恒興兄弟らが討ち取られるほど豊臣方が苦戦した小牧長久手の合戦では敗走した部隊を回収しながら深追いしてきた榊原康政を退ける大金星を挙げる。また九州征伐の際には島津に対して「お前ら雑魚すぎて半日で城落としちゃったじゃんw次はもっと粘ってよねw」みたいな感じの書状を送り付けた。なお島津は憤るどころか狼狽したという。等々凄いエピソードがあるも小田原征伐の前に早逝。もしかしたら関東は堀秀政に与えられる予定だったのではという人もいるぐらい秀吉にとっては頼れる存在だった。
- 91 武州の姫若子@lAls62kS [2024/09/22(Sun) 13:07]
- >>90
因みにこの後秀吉が秀政の息子の秀治に越後30万石を与える予定を難癖付けて没収しようとした際、秀治の家老の堀直政が「これまでの秀政の功績を忘れたとは言わせねえぞ」みたいなことを秀吉に言ったことで領土没収はナシになった。なお堀直政はこれがきっかけで直江兼続と小早川隆景と並ぶ天下三陪臣と秀吉に評されるようになる。
- 92 武州の姫若子@lAls62kS [2024/09/22(Sun) 13:24]
- >>90
水野勝成
個人的な武勇なら彼が最強だと私が思う戦国武将。家康の従兄弟で徳川家臣。初陣で17人ぐらい討ち取ったり、天正正午の乱で総大将の鳥居元忠と意見割れしてムカついたので2万の北条軍に単騎で突っ込んで何人か討ち取ってきたり、小牧長久手の合戦でものもらいから兜を着けずこれまた何人か討ち取ってきたり、常に合戦で一番槍を取るなど武勇エピソードは枚挙に暇がない。小牧長久手の直後に諫言した家臣にキレてこれを斬ったことで父親から勘当を受け出奔、あちこち転々とするも行く先々で喧嘩しては逃亡を繰り返した。(続く)
- 93 武州の姫若子@lAls62kS [2024/09/22(Sun) 13:40]
- >>92
後に従兄弟であった家康により父と仲直りして再び徳川家臣となり、大坂の陣の際に武功を挙げたら10万石を与えると約束されるも常に一番槍を挙げていた勝成を大将を任せるので「大将なのだから一番槍を取るな」という家康の忠告も無視し、また味方である筈のDQN友だちの伊達政宗と仲良く(?)撃ち合いっこしたりして家康をキレさせ武功を挙げたものの5万石に抑えられた。秀忠の代に福山10万石に加増されるとこれまでのすぐキレる喧嘩っ早い性格が嘘のようにい草の生産を推奨したり善政を敷き実高32万石とされるほど福山藩を豊かにした。また島原の乱が勃発すると九州以外の大名で唯一出陣し、流石に歳で合戦には参加しなかったものの戦国時代を生き抜いた数少ない生き字引として若い将兵たちに戦い方を教え、息子が父親と同じ一番槍を取った。晩年には衰えてる筈なのに的のド真ん中を火縄銃で撃ち抜くなどのエピソードもある。
- 94 武州の姫若子@lAls62kS [2024/09/22(Sun) 15:01]
- >>93
水野勝成と同族の水野信元も知多半島に24万石を領有したとされるがいかんせん両サイドが悪すぎた
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